So-net無料ブログ作成
大河ドラマ ブログトップ

大河ドラマ真田信繁は無名な武将 [大河ドラマ]

01.jpeg                                images (1).jpeg

大河ドラマ真田信繁は無名な武将

父・真田昌幸の元で知略を磨く

真田家の家督を継いだ父・真田昌幸は能力を発揮し、上田合戦にて2度に渡り、何倍もの徳川の大軍を

撃退することに成功し、その智略は全国に轟いていました。もちろん、真田信繁(真田幸村)や兄・

真田信之も活躍し、真田家臣の死に物狂いの尽力もあった事でしょうが、総指揮官の真田昌幸の成果

として知れ渡る事となります。そんな父・真田昌幸の長男でもなく次男であった真田幸村の名が、世

の中に知れ渡る可能性はもともと低かったのです。

   真田信繁は無名な武将       images.jpeg

結果的に、逆の捉え方をすると、真田信之と真田信繁はただ父の命に従っただけで、何もしていない

と言う見方もできます。実際、大阪の冬の陣が発生せず、真田丸を築いて徳川勢相手に活躍する事が

無ければ、真田信繁の名は単なる真田昌幸の次男で生涯を終えたことでしょう。大阪冬の陣が始まる

まで、真田信繁は実績はないと言っても過言ではない武将であったため、真田が大阪城に入ったと聞

いた徳川家康も真田昌幸は既に亡くなっていると知ると、開戦前は心配していなかった。45歳のとき

に父・真田昌幸が亡くなると、それまで九度山にて従っていた真田家臣も多くは上田に帰ってます。

          images (3).jpeg     大阪冬の陣時だけ活躍

要するに、真田丸で活躍し、その名が知られたのは、既に体力も落ち、歯も抜けて出家した、50歳近く

のいい年である真田信繁に、思いがけず一矢報いる機会が与えられた訳で、そういう意味では、淀殿や

豊臣秀頼に感謝しなくてはならず、人生、何があるかは本当にわかりません。尚兄・信行は関ヶ原の戦

いで徳川側についたので上田城をもらい受けています。真田信繁が歴史の舞台に登場するのは、この

瞬間だけで、真田十勇士などの高名は江戸時代の物語文からである事を考えると、その生涯はけっこう

地味なのかもしれません。


   真田幸村の本名は信繁です       images (2).jpeg

真田幸村の本名は信繁で、彼の生存中は信繁の名前しか使っておらず、幸村は江戸時代になってから彼

の物語文の中で初めて使われています。おそらく真田家に散々な目にあわされた徳川家は、彼の物語文

が出ると聞いて幸村に無理やり変更させたのでしょう。しかも信繁とゆう名が武田信玄の弟から由来し

ており、徳川家康は武田信玄との”見方が原の戦い”で、負け戦で死にかけていますので、余計だった

のでしょう

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

真田丸、長沢まさみさんは戦国時代のヤンキー [大河ドラマ]

  images.jpeg  images (1).jpeg

真田丸、長沢まさみさんは戦国時代のヤンキー

大河ドラマ真田丸で真田信繁をはじめ戦国武将が生き残りを図ろうとしのぎを削りますが、その

武将たちに負けじと存在感を発揮している女性陣。中でも信繁の幼なじみ・きり役を務める

長澤まさみさんの演技は異彩を放っています。信繁に恋心を抱きながらも減らず口をたたき、

自分勝手な行動で信繁の足を引っ張ることもあります。その大げさなが演技が「きりがウザい」

という声も聴かれ主人公の真田信繁よりも目立つ時もあります。

  images (3).jpeg  番組の設定どうりの演技

番組のなかでの設定は戦国時代のヤンキー、信繁のことが好きだけど本人を前にすると正反対の

態度をとってしまい卒直に感情を表現できない不器用な女性の設定です。そもそも、きりは

ウザい役なんですからウザい役をちゃんとウザくやる設定にはあっているわけです。人気女優

さんになると、やっぱり自分でブレーキかけて、いい人に見せようとしたりしますが、台本を

書いた三谷幸喜さんや演出家の狙いをちゃんとくんで、その役に徹しているわけですね。

  現代風のセリフに根拠あり  images (4).jpeg

真田信繁は大阪冬の陣で突然歴史の舞台に現れた人物ですから、不明な点が多く特に女性関係

は名前さえも不明な人物がいます。長澤まさみの設定と演技は製作者たちの意図したものです

から、本人のせいではありません。セリフが現代風だという“批判”もありますが、三谷氏が

脚本を書く際に、あえて時代劇風の語尾にせず、意識的に現代風にしているせいなのです。

何故か、時代劇風のセリフは現代に作られたものとゆう根拠の元、当時話されていた証拠は一切

ないという事からです。

  images (5).jpeg   長澤まさみさんしだいの展開

信繁は4人の女性と結婚したという資料が残っているため、今後、初婚の梅と同じ側室のきり

以外の2人の女性も登場してくると思われます。ただ当分、梅、きりを交えた信繁との三角

関係は長澤まさみさんの演技しだいで、こてこてになってきますので、今後に期待したいと

思います。今以上にウザくやってくれると面白いのですが。

氏名 采女(うめね)別名きり(真田家家臣・高梨内記の娘)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

真田信繁(幸村)は一夫多妻 [大河ドラマ]

            01.jpeg

  真田信繁(幸村)は一夫多妻

真田信繁は四人の嫁をもらっています。戦国時代ですから人質に出したり、戦の

戦力に役立てたりして沢山の嫁や子が必要だったのですね。でも真田信繁は長男

でなく次男、後継ぎでもないのにそんなに必要だったのでしょうか。それは戦で

いつ死ぬか分かりませんので、次男でも後継の準備をしていたのですね。 

父・昌幸は三男で真田の跡継ぎ     03.jpeg

実際、真田信繁の父・真田昌幸は、真田幸隆の3男で、武藤家の養子に出されてい

ましたたが、2人の兄・真田信綱と真田昌輝が長篠の戦いで揃って討死したため、

武田勝頼から真田家を継ぐようにと命じられたのです。兄2人が存命であったな

らば、真田家も武田勝頼と共に滅亡していたかも知れず、真田昌幸の優れた軍略

も発揮することなく、埋もれた武将になったかも知れません。


   02.jpeg    側室が最初の嫁、その後正室

最初の嫁は堀田小梅ですが真田家家臣の足軽の妹で、身分が低く正室扱いされま

せんでした。その後豊臣秀吉の家臣大谷吉継の娘を嫁にもらい、嫡男を生んだた

め竹林院が正室扱いされました。現代と違い家を維持するため一夫多妻が常識の

戦国時代、ご多分に漏れず信繁も四男七女をもうけてますが、大阪冬の陣までは

たいした功績もないので,ただの好き者でもあります。

    嫁(氏名は諸説有り)と子供     05.jpeg


正室 竹林院(大谷吉継の娘)二男三女 本名は利世、

       最初の嫁ではないが嫡男を生んだため正室扱い

側室 隆清院(豊臣秀次の娘、実名不明)一男一女

       豊臣秀次は側室多く母親も不明

   小梅 一女、(真田家家臣・堀田作兵衛の妹)最初の嫁

   采女(うめね)別名きり 二女、(真田家家臣・高梨内記の娘)
   
      ○母不明の四男有り


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ
大河ドラマ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。